釣魚大全



The Compleat Angler
or the
Contemplative man's Recreation.
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Being a Discourse of FISH and FISHING,
Not unworthy the perusal of most Anglers
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Simon Peter said, I go a fishing : and they said, We also wil go with thee.
John 21.3,
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London,Printed by T.Maxey for RICH MARRIOT, in S,Dunstans Church-yard Fleetstreet, 1653


− 原書内扉の表題について −

釣の達人、
思索する人の休日。
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魚と釣の講義であること(開高健風)
多くの釣師の精読に値します。
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シモン・ペテロが彼らに「俺は漁に往く」と言うと、彼に「俺たちもお前と行く」という。
ヨハネ伝福音書 第21章3節より
(復活したイエスが弟子達の前に現れ朝食をする、ヨハネ伝最終章より。)
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1653年 ロンドン、フリート街 聖ダンストン教会境内
発行所 リッチ・マリオット 発行者 T.マグゼー


注=complete を compleat , will を wil としたのは表題の写真から読み写したとおり、古語でしょうか。


アイザック・ウォルトン(Izaak Walton)
1593年8月9日、英国スタッフォード市に生まれる。ロンドンで金物商組合に加入、自営業を営む。伝記作家。聖ダンストン教会の各委員を歴任。牧師、教授、貴族などと親交。1683年12月15日、ウィンチェスターで死去。90才。

The Complete Angler(釣魚大全)
1653年 初版発行
1655年 改訂増補第2版発行
     (釣人と旅人の会話が、2版より、釣人、ハンター、鷹匠の会話に何故か変更された。)
1661年 第3版
1668年 第4版
1676年 最終加筆第5版発行
コンプリートアングラーはウォルトン60歳の著作で、第5版の改訂加筆は83歳でしたことになります。それ故、くどくなっているとの評があります。
ウォルトンの釣の弟子、チャールズ・コットン(1630-1687)が書いた「フライ・フィッシングの技術についての釣り談義」にウォルトンが加筆して、第5版から第2部として加えられ今日に到っています。森秀人は第6版から第2部が合本になったと書いている。
・・・「紅旗征戎、吾が事に非ず」と19歳の藤原定家は日記(明月記)に書きました。
ウォルトンもまた清教徒革命に英国中が混乱し、チャールズ1世が断頭台にさらされ、クロムウェルが政権を奪取したとしても、釣りと著作に明け暮れていたものと想像します。
清教徒によると日曜日は教会に行ってお祈りをする日で、釣りをする日ではない。なんとこの時代、法律によって日曜日のレクリエーションは禁止されている。そんな時代に出版された、ウォルトン覚悟の書と言えます。それ故、第1版にはウォルトンの著者名はなく"IZ WA"とのみ記載されたそうです。
日本にも犬公方の時代、釣りをして、遠島を申し渡された能楽師がいました。何時でも、何処にでも、釣りバカはいるものです。

釣魚大全(The Complete Angler)
「釣・魚・大・全」なんてタイトルを、誰がつけて流布してしまったのでしょうか。
大全とは広辞苑に拠れば「その物事に関係したものを漏れなく編集した書物。」とあります。語源は四書大全、五経大全、つまり、科挙のアンチョコから来ています。
永田一脩は「露伴と釣り」で「釣魚大全という訳がつけられたのは、大正10年(1921)ごろからだろうか。竹友藻風あたりの訳かも知れないが、私は大変不満に思っている。」と書いています。永田がこの「露伴と釣り」を書いたのは、1979年と思われるので、1977年版の杉瀬祐の「初版本釣魚大全」は目を通していると思う。この竹友藻風とは、杉瀬祐に拠れば1923年から翌年にかけて「英語青年」に部分註釈を書いて、『乳しぼりの女』『マス釣り』の所までで中断と解説しているが、杉瀬をしても「釣魚大全という日本語訳がいつごろから定着したのか、その歴史を辿ってみようといろいろ調べてみたが、結局その正確な日付はいまだに不明である。」と書いています。
1926年(大正15年)5月20日に発行された、研究社英文学叢書"THE COMPLEAT ANGLER"は英文学研究の本で本編は英語ですが、岡倉由三郎はこの解説の中で「釣魚大全」と日本語タイトルを使っている。使い方から見て「釣魚大全」は岡倉の訳ではなくすでに市民権を得た訳語と思われる。
平凡社ライブラリーの[完訳]釣魚大全の訳者・飯島操はそのあとがきで、「大正末期に『英語青年』誌上に竹友藻風の註釈が連載され、そこに「釣魚大全」という訳語が現れる。」(部分)と書いています。
どうもすっきりとしませんが、釣りの本としてでなく、英語研究書として、大正期、少なくとも1923年以前に「釣魚大全」と訳され、使われ始めたようです。

マスの釣りかたの礼儀作法、釣哲学を集めたものが、ホートン卿の「釣魚大全」である。しかし、この訳名は私達日本人にとっては大変おかしい。それはマス釣りのことの他、何にも書いていないからだ。「マス釣大全」とでも訳したらいいのであるが、英米の釣師には釣りといえばマスの毛鉤釣か、スプーン釣に決まっているからであろう。・・・(中略)・・・釣魚大全の原題は「こんぷりーと・あんぐらー」で、完全な釣り人といわれるためには、どのようなエチケットを守り、心の修行をなすべきか詳細に書いているが、どうもこれはイギリスの釣りの大和尚の説教を聞いているようで肩の凝ること夥しい。

(児玉誉士夫著「随想 生ぐさ太公望」の解説に代えて・林房雄より)




釣魚大全(The Complete Angler)翻訳史
それではこの本はどれだけ翻訳されているのか、amazon.co.jpとkosho.or.jp(日本の古本屋)で検索してみました。
年代順に並べてみます。

翻訳 出版年 出版社 備考
平田禿木 1936年 国民文庫 第5版訳
谷島彦三郎 1939年 春秋社 釣魚大全―静思する人の行楽―
下島連 1954年 元々社・民族教養新書 釣魚大全―静思を愛する人のレクリェーション―
森秀人 1970年 虎見書房 完訳=釣魚大全。コットンの第二部を始めて収納。
森秀人 1974年 角川選書 虎見書房が解散した為に、角川書店から改訂再刊。
杉瀬祐 1977年 関西のつり社 初版本釣魚大全。
立松和平 1996年 小学館・地球人ライブラリー 第5版第1部のみ。
飯島操 1997年 平凡社ライブラリー [完訳]釣魚大全。第二部及びヴェナブルズの第三部も収納。


森秀人は評論家であり、考古民族学の研究者であり、名人位の釣人です。立松和平は作家。杉瀬祐は神学者で、しかも、多くの魚のイラストをご自身が書かれています。翻訳ですから他の方々は英文学者で、飯島操は英国の釣りの翻訳本を多く出しています。
杉瀬祐は初版本の魅力を語っていますが、多くはウォルトンの最終改訂第5版を底本としています。ただし、森秀人が完訳として出すまでは、ウォルトンの書いた第1部だけの翻訳で、コットンの第2部は割愛されていました。
飯島操は第三部迄収納し、[完訳]としている。この第三部は Colonel Richard Venables の "The Experienc'd Angler,or Angling Improved" で、この第三部まで合本となった第5版は「The Compleat Angler」を「The Universal Angler」と改題して一時期出版されています。


左から、岡倉、下島、森(虎見)、森(角川)、杉瀬、飯島T、U、立松、椎名版。

以上は「釣魚大全」として翻訳されたものですが、杉瀬祐の研究によると前述の詩人・竹友藻風の註釈、岡倉天心の弟で英語学者の岡倉由三郎の解説と註釈(1926年)など、英語教材として最初に取り上げられたとしています。
釣の本としては1926年から1928年まで、雑誌「釣之研究」に飯田道彦の翻訳が連載されましたが、途中で終わっているそうです。丸山信「釣りの文化誌」にも「釣魚大全ほんやく小史」が載っています。
また、つり人ノベルズに椎名重明の「「釣魚大全」大意」があり、大変参考になります。

幻の釣魚大全
丸山信・編「文士と釣り」に丸山自身が「釣仙露伴」を書いています。この中で、幸田露伴はかなり凝り性で、ウォルトンの「釣魚大全」なども何種類かの原書を持っていて比較研究したという。また、露伴の「蝸牛庵日記」に大野若三郎がコンプリート・アングラーを「釣経」と題して翻訳し、その出版をすすめ、心をもんでいる記述がある。しかし、この「釣経」は現在見当たらない。もしこれが出版されていたら、その後「釣魚大全」と言うタイトルはつかなかったかも知れない。
「露伴の書簡」(弘文堂・1951)によると、1901年(明治34年)2月5日・石井研堂宛「拝啓。昨日曜日は鳥銃を携えて中川べりを奥戸まであるき申候。途中縄にて大鮒を大に獲り居り候を見うけ申候。…中略… ワルトン先生の鮒釣は調べ済候、微に入り細に入るの説感服いたし候。草々。」とあります。特にこの時期、露伴と研堂は中川の鮒釣、川長の仕立てなど頻繁に手紙でやり取りしています。次に1912年(明治45年)4月4日・内田魯庵宛「ワルトン釣経の事御書を賜はり多謝々々。依御詞以小包郵便訳文入貴覧候。訳者は柘植局にて受嘱、何か取調致居候由、至っての風雅人、別冊の如き歌など作り楽み居候。(此冊は早く御返し被下度乍御手数願候。)丸善にて出版叶候巾はゞ本意不過之候。草々。」とあり、解説者・土橋利彦は、”ワルトン釣経の訳者は大野若三郎で、その原稿の出版を周旋したのである。26日の日記に、「内田不知庵を問ひ、釣魚経訳稿を受取り帰る」と見える。”と註釈を付けています。
丸善でも断られ、魯庵に頼んでみたけれどうまくいかなかったみたいです。

本家・釣魚大全
1928年から1931年にかけて洋々社から上田尚著「釣魚大全」全12巻が出版されています。これは日本全国の釣り場、魚種別の釣り方が網羅されたまさに大全です。1936年平田禿木の「釣魚大全」が初めとすると、タイトルとしての「釣魚大全」は上田尚が本家になってしまいます。少なくとも、釣りの本として出版した「釣魚大全」はこの上田尚が最初のようです。上田は飯田道彦の「釣之研究」で「釣魚大全」翻訳の連載を知っていて、「大全」とはこう言うものだと大見得を切ってこの全12巻を出したのではないでしょうか。

ウォルトンの肖像
  
左より下島本、森本(角川選書)、杉瀬本。同じ服で、同じポーズだがそれぞれ違う肖像画。

参考文献

タイトル 著者 出版社 コメント
THE COMPLEAT ANGLER 岡倉由三郎
註訳
研究社英文学叢書 1926年(大正15年)5月20日発行。非売品。第5版の第1部のみ。英文の本文と巻末註訳。巻頭に岡倉の序、及びINTRODUCTION。
1.本書の声価 
2.著者の生涯とその時代 
3."The Compleat Angler" 
4.本書のBibliography 
5.本書の第二部。
巨魚に会う 永田一脩 アテネ書房 「露伴と釣」より
文士と釣り 丸山信編 阿坂書房 丸山信著「釣仙露伴」より
釣りの文化誌 丸山信 恒文社 釣り人の聖書-「釣魚大全ほんやく史」。
荒野の釣師 森秀人 平凡社ライブラリー 1.「釣魚大全」を訳す 2.「釣魚大全」の歴史 3.アイザック・ウォルトン伝
初版本
釣魚大全
杉瀬祐訳 関西のつり社 1.「釣魚大全」日本語訳の歴史 2.「釣魚大全」初版本について 3.「釣魚大全」以前の釣り本との関係 4.ウォルトンの生涯と釣り
「釣魚大全」
大意
椎名重明 つり人ノベルズ 作者は経済学者ですが、大変素晴らしい「釣魚大全」研究本です。
露伴の書簡 幸田文編 弘文堂 幸田露伴書簡集。解説=土橋利彦。石井研堂とのやり取りなどは当時の釣の研究資料になります。

永田一脩は毎日新聞社勤務、釣り人。釣りの著作多数あります。
丸山信は慶応義塾図書館勤務、釣り人、福沢諭吉研究者。


僕の寸評
中江兆民曰く、「漢文の簡潔にして気力ある、その妙世界に冠絶す。泰西の文は丁寧反覆毫髪も遺さざらんとす。故に漢文に熟する者よりこれを見る。往々冗漫に失して厭気を生じやすし」。 まったく、同感です。別に漢文が熟しちゃいないが、泰西洋東の文学と縁の薄い僕にとって、この冗舌な釣師のおしゃべりは苦痛以外の何ものでもありません。

釣りといってもこの The Compleat Angler が対象としているのは、「山里の釣りから」の著者・内山節さんのように、人里の奥を訪ねて山女魚、岩魚を追う極わずかの釣人のことで、魚探とGPSが頼りの雇われ船頭に、上げてー、下ろしてーとマイクにあわせて電動リールのレバーを押し、手前の竿に手を添えてもらってやっと事に及ぶ腑抜けな釣客はこの本の埒外です。アシカラズ。
木更津の沖提でうろちょろする僕も当然門外漢。

このコンプリート・アングラーは嘗てロンドンタイムスが家庭常備100書のなかに選んだそうで、僕も種々の釣魚大全を買い集めたが、自慢じゃないがどれ1冊として最後まで精読していません。古今聖書の如きは1ページ目から通読するものではなく、必要に応じつまみ読みし、自分のおかれた悲喜劇の状況にあわせてありがたく曲解するものと心得る不届者であります。


制作=2004年 秋
最終加筆=2005.5.27